備前焼 藤原啓・雄・和  公式ショップ

人間国宝・藤原啓・藤原雄 そして藤原和の備前焼

プロフィール

藤原 啓(本名・敬二)

明治32年2月28日     岡山県和気郡伊里村穂浪字井田(現・備前市穂浪)に生まれる。 実家は農業であった上、もともと作家志望であり、中年に至るまで焼きものとは無縁であった。備前焼を手がけはじめたのは昭和14年の春、実に40歳からである。
啓は少年時代から文学志望であり、俳句や小説づくりに熱中した。同郷出身の文学者正宗白鳥に対するあこがれや賀川豊彦が出版した「一粒の麦」に刺激されて、ついに19歳の時、代用教員の職を投げうって上京。
東京での藤原啓の12年間は波乱に富んでおり、文学を学ぶというより、人生を知ろうとする思想の放浪ともいうべき体験の連続であった。文学青年として若い詩人たちのグループとの交遊、博文館における編集の仕事を通じて知りあった多くの文壇の人々との交流をはじめ、絵や音楽も学ぶなど、思いたったらすぐ実践するというバイタリティを見せている。しかし、文学への道半ばの昭和12年、38歳の藤原敬二は帰郷。

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藤原雄

昭和07年(1932)6月10日藤原啓の長男として、現在の備前市穂浪に生まれる。
父がそうであったように文学や音楽に熱中するといった多感な青年時代を過ごし、1955年(昭和30年)に大学を卒業後一旦は出版社に就職するが、やがて父に師事し、備前焼の世界に入り、1996年(平成8年)に人間国宝となった。 円熟しているが自由。角々しくない優しさ、自己主張ではなくて、観る方が何かをその中から感じとることができる要素。彼の作品は彼自身に内包される感性と同様、様々に評される。「そこにあたたかさとか、やさしさとか、強さとか、豪放さとか、そういうものを想像させる焼物。…それがあることで精神的にあたたかみを感じるような焼物。そういうものをつくらなければいけない」それが陶芸家の使命である、と彼は言っている。

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藤原和

昭和33年(1958)12月6日
藤原雄の長男として備前市穂浪に生まれ、明星大学英文科修了後帰郷。 同じく人間国宝であった祖父・啓に師事し作陶を始める。           1990年初窯。
翌1991年の岡山天満屋での初個展を皮きりに、日本橋高島屋など全国のデパートやギャラリーおよび国内外での個展を毎年開催する傍ら、祖父や父の思念店などのプロデュースも行い、近年は、海外での個展及び講演会などを通じ、今改めてに日本のはぐくんできた「文化」や「縁」といった「日本の容」に対する想いを、多方面での幅広い活動問いかけている。

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