藤原 雄

昭和7年
藤原啓長男として岡山県備前市に生まれる。

昭和30年
明大日本文学科卒業

昭和35年
一水会賞受賞

昭和36年

日本工芸会正会員に認定される。

昭和37年

国立近代美術館にて開催された「現代工芸展」に招待出品。

昭和38年

スペインにおける国際陶芸展に招待出品。グランプリ受賞。

昭和39年

1月より9月までアメリカ、カナダ、メキシコ、スペイン等の大学より招待され、それぞれの国で備前焼の講義をし、特にアメリカ、カナダでは国外初の個展を開く。又、コロンビア大学における第1回国際工芸家会議に日本代表として出席した。

昭和40年

ふたたびアメリカのダートマス大学フルブライトの招きに依り、日本の陶芸に継いて講座を持ち、後ハノバーとニューヨークにて個展を開く。

昭和41年

五島美術館(東京)主催の選抜作家展に招待され個展を開く、尚、同年よりサンフランシスコ大学夏季講座の講師となる。

昭和42年

昭和41年度最優秀作家として日本陶磁教会賞受賞。

昭和43年

京都国立近街美術館主催「陶芸の新世代展」に招待出品、メキシコにおける第3回芸術見本市に招待出品。又、トリノ(イタリー)における国際陶芸展に招待出品。

昭和46年

6月毎日新聞社主催「第1回目日本陶芸展」へ大壺を招待出品、尚、同展「海外巡回展」に推薦される。

昭和47年

5月「ファエンツァ国際陶芸展」(イタリー)へ大壺を招待出品。

昭和48年

金重陶陽賞受賞、オーストラリア政府より招かれ、2ヶ月間オーストラリアにゆき備前焼の講義を各大学で持つ。

昭和49年

迎賓館に茶碗をおさめる。

昭和50年

フランス政府招待「古備前と藤原啓、雄父子展」打合せの為渡仏、岡山県文化奨励賞受賞。

昭和51年

県展審査員及び伝統工芸中国展審査員になる。フランス、スイス、ベルギー政府主催「古備前と藤原啓、雄父子展」の為4回渡欧。

昭和52年

ヨーロッパにおける古備前と啓、雄父子展終了、財団法人藤原啓記念館副理事長就任。財団法人備前陶芸会館常務理事就任。

昭和55年

中日国際陶芸展審査員になる。4月岡山県重要無形文化財の指定を受ける。

昭和58年

朝日陶芸展審査員になる。

昭和59年

1月山陽新聞文化賞受賞。

昭和60年

岡山県文化賞受賞。紺授褒章を二度受ける。

昭和61年

中国文化賞受賞

昭和62年

10月東京、大阪、姫路、名古屋にて朝日新聞社主催「土と炎の対話備前・藤原雄自選展」開催

昭和63年

5月韓国国立現代美術館にて日本人として初めての個展を開催。
日本工芸会理事就任。
5月広島国際平和会議場にレリーフ「友愛の船出」を制作。
10月ウィーン、バウワック財団ギャラリーにて招待個展。

平成元年

5月広島にて「広島国際会議場レリーフ制作記念ー広島讃歌ー藤原雄展」を開催。
平成2年
3月芸術選奨文部大臣賞受賞。
7月御幸橋(広島)に大モニュメント「HIROSHIMA」を制作。平成3年
12月東京銀座・王子製紙本社ロビーに、レリーフ「森の響」を制作。

平成4年

1月大徳寺聖光院、利休像前に「花入」「燭台」を奉納。
2月英国大英博物館に「播座大壺」「窯変花入」収蔵され展示される。
4月東京青梅市の明星大学にレリーフ「明星より世界へ」を制作。
7月大阪工業大学新館にレリーフ「天地創造」を制作。

平成5年

1月より東京、京都、横浜、大阪、姫路にて朝日新聞社主催「藤原三代展」を開催。

平成6年

3月福山芸術文化会館に「昇」を制作。

平成7年

3月ホテルグランヴィア岡山2階壁面にレリーフ「宴」を制作。
4月大阪テザック二色浜製造所に「FROM TESAK」を制作。
5月6月作陶40周年記念で「壺と茶陶展」を広島天満屋、岡山天満屋にて開催。
全国日本学士会よりアカデミア大賞を受ける。

平成8年

国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定される。

平成9年

3月明治大学特別厚労賞受賞。
9月三木記念賞受賞。

平成10年

11月紫紺褒章受賞。

平成13年

10月死去

平成13年

11月勲4等旭日小授賞受賞。